遺言

躁と鬱が顕著に見られるとてもおもしろいブログです

孤独なモブだけは

不適切な表現があればお許しくださいませ

 

 

 

 

 

時々自分の存在について考える

 

 

 

大人数でいると、何故か浮く

 

会った初日に意気投合した友達と、

だんだん距離ができる

 

 

この感覚をわかる人は

この世にどれだけいるのか

 

 

なかなか居ない気がする

 

 

世の中の人はなんだかんだ人間関係を

程よくこなしていてすごいと思う

 

 

 

自分は無難な存在でありたいとは思う

 

例えばそこに居たら喋るけどそこに居なければ特に話さず、話すためにその人の元には行かない

 

それは言い換えればいてもいなくてもかわらぬ存在なのかもしれない

 

 

 

大人数では話すことが出来なくとも

1:1では難なく会話をこなすことができる

 

 

距離の縮め方がおかしいのか

変わってるねと言われたことが複数回ある

 

 

この変わってるねは褒め言葉ではないと分かっているが

自分が量産型の人間では無いと分かり

少し嬉しい自分もいる

ここがキモい

 

 

私は唯一無二の存在になりたいと考える

 

 

と同時に人生を思い返して唯一無二の存在になった経験がないことに気づきかける

 

 

気づかないことにしておく

 

 

自分と似た人を見つけるとどこか安心する

 

 

似た人とは友達が少なく浮きがちな子

 

 

最低な自分にも気づかないふりをする

 

 

しかしその似た人も決して似てはいなくて

 

自分にはないものを沢山持っていることを知ってしまう

 

そしてあたり前に病む

 

 

自分が自分であろうとする

 

 

19年生きてきて、半分自由を手に入れた自分は

自分に負荷のない生き方を優先してきた

 

 

人付き合いは苦手で苦手なもんは仕方がない

人付き合いを極力避けてきた

 

 

自分がモブじゃない誰にも変わらぬ存在になりたかった

 

 

だからといって努力できないのが私だ

 

 

孤独なモブが出来上がった

 

 

引きこもってるから白い肌を手に入れた

 

 

顔が変だから変えようとしたけど

結局上手くいかず、この先理想の顔には

多分なれないことを今から

何となく察し始めている

 

 

 

夢をもつ意識の高い人を眺めて

空っぽな自分を自覚する

 

 

夢に向かう素敵な姿を眺めながら

将来のことを考えては

暗闇に落ち込む

 

 

 

 

休日何をしているのかと聞かれれば

本当に何もせずに一日が終わる

 

 

無気力でやる気が起きない日々が続く

 

 

 

このまま生きていて 何が残るのか

 

自分が死んだ後に

自分の生きた証は残るのか

 

 

そう問いかける

 

もちろん答えは出ない

 

 

というかむしろ答えが出てるのかもしれない

 

何も残らない、と

 

 

 

人に褒められるような生き方をしたいとは思わない

 

むしろ人目を気にする自分をダサいと思う

 

人目を気にしまくっている証拠の思考ではある

 

 

 

だんだんと死を意識する

 

 

自分以外が笑ってる中

自分だけ笑いどころが分からない

 

 

なんであんなに楽しそうなのか

全く分からない

 

 

そんな日々が続く

 

 

 

他人がやっぱり羨ましくなる

 

 

19年生きてきて

自分が他人のようにするのは無理だと分かった

 

 

みんなみたいにしようとした経験、そして失敗して落ち込む経験を何千としてきたから

 

 

 

私はそれなりに強くなったと思う

 

 

というよりも全てを諦め、失うものはないだろうと物事をバカにした目で見てきたから

自分へのダメージが少なくなった

 

 

 

 

しかし死にたい

 

この思いが消えたことはない

 

 

 

死にたい

 

 

 

 

死にたい

 

 

 

 

 

死にたい